3月3日と言えば、「ひなまつり」ですよね!
ひな祭りは桃の節句とも呼ばれ、私達日本人にはなじみ深い年中行事の一つです。
お雛様を飾り、ひなあられやちらし寿司に舌鼓を打つ。
女性や女のお子様を持つ方であれば一度は経験したことがあるのでは?
しかしながら、ひな祭りはそもそもどういった行事で、
何が由来なのかご存知ではない方も多いのではないでしょうか。
由来や内容を知った上でより行事を楽しむ為、今回はひな祭りを取り上げます。
桃の節句とは本来どういった行事なのか?
桃の節句(ひな祭り)は現代にも色濃く残る昔ながらの風習の一つです。
今では女の子の成長を祝うお祭り・行事として認識されています。
雛人形を飾り、赤・白・緑の菱餅、お子さんには甘酒(親世代は白酒)、
ひなあられ、はまぐりのお吸い物などを食すのが一般的ではないでしょうか。
昨今はスーパーでも特集を組まれて販売されているので手軽に準備が出来ます。
お祝いの料理には女の子の健やかな成長を願うため、それぞれに意味が籠められています。
さて、ひな祭りと聞いて一番に思い浮かべるものはやはり雛人形ですよね!
一段目は雄雛であるお内裏様(天皇)、
華やかな着物を纏った親王である女雛であるお雛様(皇后)を飾り
二段目には三人官女、三段目に楽器を奏でる五人囃子を飾ります。
三段以上の見ごたえのある雛人形を飾るご家庭もあり、
豪華な雛人形は見ているだけでも心が躍ります。
次の項目では桃の節句の由来についてご説明します。
子どもにきかれてもすぐに答えられる!桃の節句の由来とは?
古来から日本では3月上旬の巳の日を「上巳(じょうし/じょうみ)の節句」と呼び、
五節句の一つとされています。
元々は旧暦3月の最初の巳の日は「忌み日」で、
その日にお祓いをする中国の風習が伝来し、変化したものです。
節句という言葉は季節の変わり目や節目という意味を持ち、節句のたびに厄払いを行ってきました。
上巳の節句では、紙や藁などで作った「形代(かたしろ)」を川に流し、
厄払いや健康祈願をしてきたのです。
一方、貴族の子ども達の間では「ひな(ひいな)遊び」が流行していました。
これはおままごと遊びのようなもので、ひなとは小さく可愛らしいものを意味します。
この遊びで使用されていた形代と厄払いの人形が結び付き、「流し雛」として川に流されるようになりました。
この流し雛が現代のひな人形の原型と言われており、時代と共に立派な雛人形が作られるようになると、
人々は川へ流さずに飾るようになったのです。
その後、江戸幕府が3月3日を「桃の節句」と定めたことにより、
ひいな遊びや形代を使用することから次第に
桃の節句は女の子のお祭りであるという考えが普及していったのです。
知っておくとためになる!? 桃の節句の本当の意味
上巳の節句はどうして桃の節句と呼ばれるようになったのでしょうか。
桃の節句である3月3日は、本来は旧暦の3月3日(新暦の3月30日~4月上旬頃)を指します。
春本番に差し掛かるこの時期に桃の花が咲くため、「桃の節句」と呼ばれるようになったと言われています。
中国では古くから、桃には邪気を払う神聖な力があると信じられており、
上巳の節句は邪気払いの日でもあったので、この日に桃の木を飾ったとされています。
桃の節句の歴史は古く、日本での起源はなんと約千年前の平安時代にまで遡ります。
元は平安貴族が薬草を摘み、薬草によって体の穢れをお祓いし、
健康と厄除けを願う行事が始まりだったと伝えられています。
日本においても中国と同様に、桃は
皮膚疾患である汗疹等を治す為に桃の葉をお風呂に浮かべてから入浴していました。
これらのことから上巳の節句は厄払いや健康祈願をする日となり、
桃の木が節句を祝うのに相応しいことから、いつしか「桃の節句」と呼ばれるようになったのです。
まとめ
- 本来の桃の節句は旧暦の3月3日を指す(新暦の3月下旬~4月上旬
- 桃の節句は古来中国の風習が日本に伝わり、変化したもの
- 元は忌み日でありお祓いをする日だった
- 名前の由来は邪気を払うといわれる桃の木を飾ったこと、またその花が咲き始める時期であることから
幼い頃から知っている行事である桃の節句の成り立ち、由来をご紹介しましたが如何でしたか?
こうした古くからの風習やお祭りの意味を教えてくれる人は年々少なくなりつつあり、
筆者も詳しく知らないまま大人になった一人です。
しかし意味を理解して行事を行うのと、知らずに行うのでは気持ちの入りようも変わってくると思います。
この機会に是非、桃の節句の意味と由来を心に留めていただき、
是非周りの人にも教えてあげてくださいね!